
畑にあった大木は、太陽の光を遮る理由で
伐採されたのだと思われます。
切株にはきのこが・・・元気よく働いていますね🍄
数年後には、きのこの働きで残った大きな切株も姿を消すことになります。
人間が自然に無関心でも、自然の方は淡々と仕事をして変化をしています。
「自然のままにしておく」ことと「放置」という言葉について考えてみました。
目次
人間のエゴ?!
全国的な話だと思いますが、開墾をして
農地を確保した時代がありました。
人間が作物を作りやすいように、手を加えた訳です。
太陽が当たるように大木は伐採して、農作業がしやすいように整え
大量収穫が出来るように機械化も進みました。
時代が進み、自給自足や地消地産にこだわらず
外国のモノも手軽に手元に届くようになりました。
簡単に食べ物が手に入るのなら、苦労して作物を作る必要がなくなった?!
放棄農地が現れ始めました。
農地を耕すのをやめる。という事は、
元に戻るのではなく、現状の条件に良い植物から
弱肉強食の領地争いが始まることになります。
山を切り開いたので山に戻るのではなく、
今の条件に一番ふさわしい植物がしばらく勝ち続けるのです。
自然界も必死ですね!
そのまま自然に任せることは、耕す事を放棄し放置することになってしまいます。
放棄農地のシノダケを刈ってみた!
ビッシリと生えそろったシノダケを刈って・・・本来ならば
そのままにしておけば、数年かかって微生物が分解してくれると思います。
地下は根っこで張り巡らされている事でしょう。
作物を作ることは出来ませんが、お花を育てたいので
刈り取ったシノダケに素早く土に還って欲しいと思いました。
焼却作業で、灰になってもらいます。
あれだけあったシノダケが、ひとまとまりの灰になりました。
山のキノコの独り言🍄
「自然のままにしておく」事と人間の生活環境は相対することで
原始の生活を望むのであれば、そのままがいいですね。
原始の生活ではなく文明社会の生活をするのであれば、自然環境を整え
保護する姿勢で人間が関わるべきです。
例えば、
水の流れをよくする排水溝が、ゴミで詰まっていては水害に繋がります。
人が歩くための歩道に雑草がはびこっていたら、安全に歩道を歩くことが出来ません。
伸びた木が電線に掛かったら、いずれ影響があるかもしれません。
同じようなことで、
生活をしている家の中の掃除をしなければ、埃が溜まります。
埃が、火災や病気の原因になりますね。
自然界の木を切って家を建て、生活をするのであれば
家で生活する人がお掃除をすべきです。
自然界の土地を切り開いて畑にしたのであれば、
「畑にするのをや~めた。」とするのは「放置」、「農業放棄」です。
作物以外の植物がはびこり、害獣の住み心地の良い場所になり、
植物の弱肉強食のドラマを見せつけられ、最悪の場合は
自然災害の引き金を作ってしまいます。
全く人間のエゴなのですが、ツケは人間自身が負うことになるのですね(^_^;)